比較文芸論

担当教員:中村翠
Instructor:NAKAMURA Midori

概要

Abstract

担当教員の研究分野はフランス文学です*。本学ではフランス語のほかに、「比較文芸論」「文学概論」という授業もそれぞれ隔年で担当しています。毎年、なんらかの文学理論を中心テーマに設定し、それに関係する作品をとりあげてあれこれ突っついています。

 なお、この授業は文章の書き方について教えるものではありませんので、受講しても下記の森下さんのような文章を書けるようになるとは限りません。ただ、さまざまな読み方を試みる姿勢は身に付くはずです(、だといいな)。

*研究内容については、次のインタビューで手短にお話しさせていただいていますので、関心のある方はご覧ください。https://transcreationlab.com/interview/midorinakamura

履修生による紹介

─2022年度 4回生 油画専攻 森下巴留二 (2021年度比較文芸論履修)

 妙にいい朝。朝起きたら、不思議なほど気分が良い。夢の中でよほど幸せなことがあったのだろうか?友人達と豊かな春の森の中でお茶会をする夢とか?なんだそれ。ベッド脇の窓から少しひんやりとした空気が、パジャマ越しに立毛筋を軽く突っつくように流れ降りてくる。部屋のドアを開けると、もうこんなに明るかったのかと驚くくらい、明るい朝の光が薄暗かった部屋に立ちこめた眠気を覚ました。

 隣の弟達の眠る部屋は、すでに明るく静かな空気で満ちていて、緩やかな空気の流れで遊糸のように漂う布団やらシーツから舞い上がったほこりですら、なんだか美しく見えてしまう。その布団の足元の方で、なめらかな光沢をもった灰色の毛並みの小さな塊が、大きなあくびをした。そして私に親しげなアイコンタクトを送ってから、重ね合わせた前足にゆっくりと小さな顎を傾けた。おはよう、と言ったのか、今朝も早いね、と言ったのか。

 階段の右手の窓から差し込んだ光の四角柱が白い壁の薄青い影の中に下りてきて、ぶつかったところで四角い形に光が溜まっていた。そこを一瞬、寝ぼけた形の海月が通った。鏡の前に立ち、ぱしゃぱしゃと顔に水をやる。顎を育てている。少しだけひげが伸びてきた。長く伸ばした髪の毛が、取り留めのないカーブを描いて絡まってる。自分の髪の毛を光に透かすとエナメル線みたいな明るい赤茶色に見えて面白いが、事実硬い。ヘアゴムでまとめるとようやくぴしゃっとしてくる。

 朝ごはんの用意をしていると、もふもふとした感触が足元を通り過ぎた。起きてきたのは君が2番目だ。彼の趣味は、リビングの薄くて白いカーテンの中に隠れること。そうして、近所にいる、いろんな色した細長いのや、黒くてうるさいのや、無表情なくせに鼻息荒く通り過ぎるでかいのや、違う色をした仲間なんかを見ている。そして、きれいな声で鳴くぱたぱたしたのを見ては、どんな感じだろうと想像してみるのである。

 朝ごはんを終えたら、お昼のおにぎらずを作る。寿司羽を置いたら、ご飯、具、ご飯という順に重ねて、海苔の端を合わせればいいから簡単である。何を入れようかな。おかかごぼうは米と海苔との相性が最高だ。例えるなら、白詰草としじみ蝶、サイモンとガーファンクルのデュエット。大きなおにぎらずを2つと、水筒を用意したら、あとは着替えて出発である。ハンカチを忘れずに。

 いつも車庫から乗り出す前に、ロードバイクのサドルをぽんぽんと軽くたたいて、今日もよろしく、大学まで無事に運んでおくれという願かけをする。毎度恒例、サドルぽんぽんである。いや、この呼び方はやめよう。暑いので蒸れ防止のためヘルメットの下に被る手ぬぐいには、臙脂色の地に白い文字で「鍛錬」と書かれている。片道18kmのプチロングライド、ぴったりじゃないか。

 すーっと家の前の坂を下ってゆく。向かい風はスピードを落とすが、涼しいので快適だ。向かい風は私に切り込まれてわっと脇に避ける、それからしばらくぐるぐると混乱したように渦を巻いてから、また流れ始める。時々ふっと魚の煮物の匂いがしたりする場所で、今日はスイカズラのようなよい香りが一瞬した。青い空の前に、雲がまばらに浮いていて、日差しを程よく和らげている。こんな朝はサイクリングに限る。

 大きな桂川の橋を渡る。幅広の川の横の広いスペースでは、いろんな人がたくさんの野菜を育ててる風景が流れる。茄子やトマトがあるかもしれない、或いは西瓜を育てている人もいるかもしれない、あの目立つ葉っぱは里芋だな。みっちりと建物の並ぶ景色の中で、唐突に広がる青々としてきた田んぼを横目に通り過ぎると、大学につながる最後の長い坂が始まる。

 途中スーパーでおやつにかりんとうを手に入れ、駐輪場から出て漕ぎ出そうとすると、後ろの角から鈴みたいな笑い声が聞こえた。そしてゆっくりと、小さな搭乗者で満席の小さなバスが道路に進んできた。とりわけ元気な小さな手が、窓の外にぱたぱたと手を振っていた。鴨川とかで自転車ですれ違う時に、気さくなヨーロッパのお兄さんがハイタッチを誘うのと同じあれだな、と感じた私は、にこっとして手を振りかえしてみると、明るい黄色の鈴の音色が一段と高まり、私は思わず顔をほころばせた。ありがとう。

 最後の大学正門の坂をくぐって、アトリエ棟下の駐輪場に乗り入れ、急いで時計を見ると、9時3分前をさしていた。講義は9時からである。安堵しつつも、私は急いで階段を登った。

 ここまで読んで頂きありがとうございます。

 本や物語を読む時に、そこには実際には文字の羅列しか見えないのだけれども、頭の中で登場人物の声や顔を思い浮かべたり、その場所の風景を思い浮かべたりするのって楽しいですよね。その想像する声であったり風景であったりは読み手によって、多かれ少なかれズレがあるのではないでしょうか。これは文章の解釈が読み手に委ねられているということです。

 比較文芸論では、こうした解釈の違いを大いに招きやすいようなテキストをあえて選んで皆で読み込むことで、解釈同士を比較したり、そこからその解釈の共有を踏まえて発展させた解釈をまた考えて行く、といった普段なかなかしないレベルのしつこいとまで言える精読をして行きます。しかしこれが、さっと読むのとはまた違った楽しさが感じられ、また誰よりも中村先生ご自身が楽しんでおられます。そして、フランス文学やギリシャ悲劇、日本文学といった古今東西のさまざまな文章に出会える場所でもあります。  もしも私の文章を通して読むことの楽しさを感じて頂けたなら嬉しいです。ぜひ、比較文芸論の中で文芸の世界を散策するきっかけにして下さい。