【終了】ULA seminar #2

2022 ULA seminar #2
─不便益:敢えてひと手間をかける設計論

発表者:平岡敏洋 (東京大学生産技術研究所 特任教授)
日時:2022年3月22日 13:30-15:00
場所:Google Meet (クラスコードy7xossr 京都芸大の関係者ならどなたでも参加可能です)
要旨:「不便益」は不・便益ではなく、不便の益(benefit of inconvenience)です。本セミナーではプロジェクトの中心である平岡先生から「不便益」の考え方について学び、そのデザイン分野での示唆について考えます。
終了後、平岡先生に作品を講評いただく時間を取ります。作品紹介の希望者は世話人までご連絡ください。終了後の作品紹介の場所は参加者に別途案内します。
「不便益」の詳細はこちら▷http://fuben-eki.jp/whatsfuben-eki/

世話人:原星香(プロダクトデザイン専攻2回生)、磯部洋明(美術学部共通教育)

当日の様子

平岡さんから「不便益」の紹介とその設計論についてオンラインでお話し頂いたあと、デザイン科・プロダクトデザイン専攻にお越し頂き、同専攻2回生で今回のセミナーの世話人も務めた原星香さん、同専攻3回生の駒井志帆さんの作品への講評を頂きました。

不便益とデザイン

プロダクトデザイン専攻 原星香

世話人を務めさせていただきました、プロダクトデザイン専攻3回生(2022年度)になる原星香です。

今回のセミナーの世話人を務めさせていただくまでに至った経緯を少し説明したいと思います。

きっかけは作品展で展示した作業着がきっかけでした。作品展で展示していたものは後期の選択課題で制作したもので、「あまりにも世の中に便利なものが増えすぎると極端な話人間の体が退化するんじゃないか?人間の身体を退化させない、エクササイズを通して感じたものを作品に落とし込む」、思考やアイデアよりも先に体感することが大事、という課題でした。大学入学のタイミングで新型コロナの影響によって行動範囲が狭まった中でどうすれば気持ちを切り替えられるのか、ということをずっと考えていた私にとって後期のこの課題は終着点をどこに設定すればいいか分からず難しかったですが、私に合った課題でした。

2021年度の作品展で展示した作業着

前期の課題で椅子を作った時にも、便利なものよりも身体を動かして気持ちの切り替えをはかれるデザインを作れないか?ということをずっと考えていたので、後期もその延長線上で考えて作ろうと思い、まずは自分の周りの同期や先輩、後輩がどうやって気持ちの切り替えを行っているかをアンケートで聞いてみました。

するとお茶を飲む、窓を開ける、お風呂に入る、寝るなどさまざまでしたが、中でも服を着る、メイクをするという意見に目が留まりました。

詳しく聞いてみると部屋の中であっても着替えたりメイクをすることで誰かに見られているような感覚になりだらけなくなる、とのことでした。

芸大生が作業するときに着替えるものといえばツナギやろ、という安直な考えから最初は始まり、よくよく考えてみたらツナギを着る時は足を通す→腕を通す→真ん中のファスナーをあげる、という順番を無意識に行っているのでは?と気付き、リメイクという形でどこか着にくくすることで身体を動かさせて、「今から作業するためにこの服を頑張って着ようとしている」という意識が生まれないだろうか。

そう思い、本来ならば着脱を楽にするはずのファスナーを使って”あえて”着にくい作業着を作りました。そこから磯部先生にDMで感想をいただき、コンセプトをお伝えしたところ不便益を研究されている平岡先生に繋がり、世話人を務めさせていただける運びとなった、という訳です。

まさか作品展で展示した作品からセミナーの世話人になるまで発展するとは思いもしませんでした。大変貴重な機会をいただけて光栄です。この場を借りて改めてありがとうございました、と感謝の言葉を伝えたいです。

今回のセミナーのタイトルにもある不便益という言葉ですが、実を言うと知ったのはつい最近のことでした。というか作品展の期間中に作品の説明をしていたときに、話を聞いて「不便益ね、大事だと思うわ」と、うんうんと頷きながら見にきてくれた方が呟いたのが初めてでした。フベンエキ?不便益か、とすぐ脳内で変換されましたが、あまり聞き慣れない言葉だなあと思ったくらいでした。

それから平岡先生のお話を実際に聞いてみて、ずっと私が考えていたことは不便益という言葉にあてはまるんだとしっくり来ました。

京芸のデザイン科では基礎の授業で「あなたにとってのデザインとはなんですか?」と問われ3分ほどプレゼンする機会があるのですが、平均して「世の中のために、誰かの役に立つもの、便利にしていく」という答えが出てきます。もちろん多くのデザインはアートと違ってクライアント(使用する人)がいて成り立つものだと思うので間違いではないとは思うのですが、コロナ禍で行動範囲が狭められ自由に動けなくなった今、便利なものがたくさんあって選択肢が全て目の前に並んでいるようで、どこかつまらなく感じていました。少し長く感じる通学時間も、外に出るために身支度をする時間も全て気持ちを切り替えるためのひとつの気持ちを切り替えるための"儀式"なんだと思うと、便利なモノやコトによって削がれていた時間もまた無駄なものや悪いものではなかったのだと改めて気付かされたのです。

色々なモノやコトを考えて作って発信していく者として、便利なモノやコトを増やすだけではなく、今まで大切に使われていたけど淘汰されていったモノにも目を向けながら改良していけたら、というのが私の理想です。

もちろん今ある便利なものに対して否定的な訳ではなく、かといって懐古主義という訳でもありません。

使うのも、生み出すのも、作るのも、エラーが起きたり壊れた時にそれを直せるのも全て人間の手によって出来ることなのだ、ということを忘れてはいけないと思うのです。