書籍紹介の連載始めます

京芸生にいろんな本を読んで欲しい!それは別にしても好きな/思い入れのある本について語るのは楽しい!ということで、ULA教員が本を紹介する連載(不定期)を始めます。教員の専門分野についての本だったり、そうでなかったりしますが、原則として京芸図書館にある書籍から紹介します。学生の皆さんが本を探しに図書館へ行ってみるきっかけになればとも思っています。

2022年度に「伊藤記念図書資料」としてULA教員が推薦する「リベラルアーツ教育研究の基盤としての古典的著作群」が採択されました。それによって図書館に収蔵された図書を紹介する目的も兼ねています。

ハンナ・アレント『人間の条件』

政治哲学者・思想家のハンナ・アーレント(Hannah Arendt、1906- 1975)の主著の一つです(1)。アーレントはドイツのユダヤ人の家庭に生まれドイツで教育を受けましたが、ナチスの台頭を受けてアメリカに亡命しています。この経験からアーレントはナチズムやスターリニズム(2)のような全体主義がなぜ起きてしまったのかを考え続けることになり、第二次世界大戦後まもない1951年に『全体主義の起源』という本を出版しました(3)。『人間の条件』はアーレントの主要著作ではそれにつづくものにあたります。

アーレントを知らない人も「悪の陳腐さ」という言葉を聞いたことがあるかもしれません(the banality of evil、 「悪の凡庸さ」と訳されることもあります)。これは、ナチスがユダヤ人を始めとした数百万人もの人々を強制収容所へ移送する計画の中心的な役割を担ったアイヒマンという人物の裁判の傍聴記録の中でアーレントが書いた言葉です。アーレントは、アイヒマンが悪魔的な人物ではなく、ただ「まったく思考していない」陳腐な人間であるとし、しかしそのことが彼をその時代の最大の犯罪者の一人にしてしまったと書きました(4)。アイヒマンを陳腐な人間だとし、また同胞であるユダヤ人の中にナチスに協力したものがいたことを指摘したアーレントは、その後強い批判にさらされ、長年の友人とも決裂しますが、その意見を変えることはありませんでした。このあたりのことは2012年に製作された映画「ハンナ・アーレント」にも描かれています(5)。いきなり難解な本を手に取るのにハードルを感じる人は映画から入ってみるのもいいかもしれません。

『人間の条件』の話に戻りましょう。この本の出版は1958年です。1958年がどういう時期だったかというと、ナチズムやスターリニズムなどの全体主義の記憶はまだそれほど古びておらず、一方で核兵器や宇宙など人間のあり方を大きく変えるような科学技術が急速に進んでいた時でした。全体主義を生み出してしまった要因となるものはまだ消え去ってはいないと考えていたアーレントは、この本のプロローグで以下のように書いて、人間の活動、あるいは人間を束縛し、同時に人間たらしているもの(人間の条件)そのものの分析に踏み込みます。

これから私がやろうとしているのは、私たちの最も新しい経験と最も現代的な不安を背景にして、人間の条件を再検討することである。これは明らかに思考が引き受ける仕事である。ところが思考欠如ー思考の足りない不注意、絶望的な混乱、陳腐で空虚になった「諸真理」の自己満足的な繰り返しーこそ、私たちの時代の明白な特徴の一つのように思われる。そこで私が企てているのは大変単純なことである。すなわち、それは私たちが行っていることを考えること以上のものではない。(『人間の条件』p16-17)

『人間の条件』に書かれていることを短くまとめることはとても困難ですが、キーワードだけ簡単に触れておくと、アーレントは人間の活動力(activities)を、労働(labor)、仕事(work)、そして活動(action)の3つに分けます(6)。

まず「労働/labor」は、生命活動を維持するための活動力です。これは生命としての身体を持っておりそれを維持せざるを得ない、という「人間(にとって)の条件」に対応しています。単に食べたり寝たりというだけではなく、家事をしたり、日々の糧を得るために工場で働いたり、とにかく日々の生活を継続するための必要を満たすためのものはすべて「労働/labor」になります。

次に「仕事/work」は、人工物を作り出すような仕事です。この人工物は、一旦作られると、たとえそれを作った人間が死んでもそれ自身は永続的に残るものであり、そして人間がそこで生きてゆくための「世界」を構成します。生命活動を維持するために人工物からなる世界を必要としているということが、「仕事/work」に対応する人間の条件です。建物を建てたり道路を作ったりするのがイメージしやすいですが、それが単に生命活動の維持という必要に迫られて作るものであればむしろ「労働/labor」に相当するものであり、アーレントは「仕事/work」の代表的なものとして芸術を挙げています。

最後に「活動/action」は、人間がこの世界に一人で生きているのではなく、常に複数の人間が生きている、という人間の条件に対応する活動力です。「活動/action」は、一人ひとり異なっている人間が、公的な話で自らが何者であるかを提示し、(主として言論によって)他者と何事か(協力したり対立したり)をなすことです。

途中ですが一旦ここまで。後日追記します!

  1. アーレントと書かれることが多いですが、ちくま学芸文庫から出ている志水速雄訳と、最近講談社学術文庫から出た牧野雅彦の新訳では、アレントという表記になっています。本文ではより一般的なアーレントの方で書いています。ちなみにアーレントは元々この本を英語で書いた(現書名:The Human Condition)のですが、後に自分の母国語のドイツ語で書き直しており、その際に大幅な加筆修正を行っています。そちらはみすず書房から邦訳が出ています。(ドイツ語原書名:Vita activa oder vom tätigen Leben、邦訳『活動的生』)こちらの方が読みやすいという話もあります。重くて価格が高いのですが...
  2. スターリニズムとは、1920年代から1953年までソビエト連邦の最高指導者だったスターリンによる思想やその政治体制のことです。秘密警察による恐怖政治や大規模な粛清などが行われました。
  3. ハンナ・アーレント、『全体主義の起源』全3巻、みすず書房、2017年
  4. ハンナ・アーレント、『エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』、みすず書房、2017年
  5. 映画「ハンナ・アーレント」オフィシャルサイト http://www.cetera.co.jp/h_arendt/
  6. 人間がやること全般を意味する”activities"と、その中の類型の一つである"action"の訳に両方「活動」がついているのがややこしいので注意が必要です。"action"には「行為」という訳語が使われることもあります。いずれにせよアーレントは言葉に独自の意味を持たせて使っているので、その訳語の一般的な意味に引きずられずに著者が言おうとしていることを読み取る必要があります。