ハンセン病療養所における気象・天文観測の調査

磯部洋明(美術学部共通教育)

岡山県瀬戸内市邑久町にある長島愛生園は、昭和5年(1930年)に設立された国立ハンセン病療養所です。ハンセン病は感染症の一種で、かつて「らい病」と呼ばれていました。第二次世界大戦後に特効薬が開発、普及されるまでは不治の病だったこと、病状が進むと身体的な障害だけでなく容貌に著しい変化があること、遺伝性があるという誤解がはびこっていたことなどから、患者本人のみならず家族までもが激しい差別にさらされていました。日本では戦前から隔離政策が取られ、患者は全国各地に作られた療養所に半ば強制的に収容され、その多くが親族にまで差別が及ぶことを恐れて故郷とも縁を切り、一生を療養所からほとんど出ることなく終えることを強いられていました。さらに理不尽なことには、隔離政策は特効薬が開発されハンセン病が治る病気となってからも続けられ、法的根拠であったらい予防法が廃止されたのは平成8年のことでした。長島愛生園を含む全国の療養所には、今も元患者(回復者)の方々が居住されています。

療養所は一つのミニ社会のようになっており、軽症の患者はその中で「患者作業」と称する様々な仕事に従事していました。中でも愛生園には気象観測所と天文台があり、患者である入所者が観測を行っていました。特に気象観測は、岡山測候所(地方気象台)の援助もあって、昭和13年からアメダスが設置された昭和54年まで大阪管区の正式な気象観測所として入所者が観測を行っていました。また昭和20年代から30年代にかけて稼働していた天文台には、英国の名匠ジョージ・カルヴァーのレンズを用いた5インチ反射望遠鏡で太陽黒点の観測や恒星の掩蔽観測が行われており、その結果は天文台設立に協力した京都大学花山天文台の初代台長である山本一清や東京天文台(現在の国立天文台)に送られていました。

ハンセン病療養所における文化・文芸活動はよく知られており、研究も盛んに行われているのですが、気象・天文観測のような自然科学系の活動は他に例がありません。長島愛生園の気象・天文観測は、ハンセン病療養所の歴史としても、アマチュア科学・シチズンサイエンスの一例としてもとても興味深いものです。

私は2014年頃から年に1回程度、気象・天文観測の調査のために愛生園に通っています。その際は調査のアシスタントとして学生も一緒に連れてゆき、ハンセン病について学ぶ機会にもしています。

愛生園の気象観測所・天文台については、拙著「宇宙を生きる(小学館)」の他、特に天文観測については、Stars and Galaxies誌に受理された(2022年末に出版予定)こちらの原稿でも説明してあります。